戦国期に活躍した忍者その忍者の源流をたどる。

伊賀服部氏は渡来人だった!

忍者とは何か?壁ごて服部氏は、応神朝前後の渡来人であった。ちょうど、畿内政権がまとまり、氏と姓による支配組織がかたちづくられるころである。『永閑伊賀名所記』によると、 「応神天皇の御代に、呉国よりも漢よりも、緒を縫いなども−し、または糸綿もつみひくものを渡せしに、呉国より渡るを呉服といい、漢より来るを漢服といいけり。ともに秦の始皇または後漢の元帝の子孫なるゆえ、それを姓とするとかや」 といアブ。 このさい、呉は高句麗、漢は伽羅、安羅など朝鮮半島南部の国家群、という説はとらない。直接にはそうかもわからないが、彼らが長い年月をかけ、そこかしこに留まり、混在しながら、はるか西域からやって来たものと考えたい。 同じ意味で、始皇ないし元帝の子孫というのもとらないが、要するに、一一流あっ たことがうかがえる。その一一流はまた、神別・蕃別ということにもなる。『三国地誌』では、 「呉服部は蕃別にして、子孫、猪の爪を紋とす。猪の爪とは機の稜なり。服部 連は神別にして、その子孫、矢羽を紋とす」 とある。『新撰姓氏録』ではへ呉服部造は百済国人阿漏使の末で、服部連は妙な 名だが、摸之速[口命十一一世、麻羅宿禰の未だとしてある。 そして、〃酒ノ君″という者が、これらををつかさどったとしてある。『伊乱記』では、「しかれば、服部氏の祖というは酒ノ君なり」 といっている。 酒の君とはたぶん、秦 酒公のことだろう。あの不思議な伝説をもち、能楽の始祖とあがめられた秦河勝の祖で、かつ景教をもたらしたかもしれない人物である。『新撰姓氏録』では、服部氏と秦氏を峻別してあるが、所伝では一体だ。一体といえば、「諸家生出各別にして、混然として一統の如く、みな服部となる」(『三国地誌』) と、伊賀服部氏は混然一体となったことを伝えている。国内に断然、勢力をもったと思わねばならない。 勢力をもってきた》」との一つのあらわれは、伊賀国一の宮である敢国神社の奉仕であろう。 この神社の祭礼は、十一一月初卯に行なわれる。花園河原(佐那具)に神輿が出座して、七日間神事が行なわれるが、俗に〃クロトウ祭り″という。そして、「これを勤むる族は、たとえ凡下なりというとも、賎種を除き、服部氏を免許せるいう。つまり、服部族でなくては、奉仕できないのだ。 クロトウとは、経費が千石もかかるので〃苦労当″とあて、あるいは参加者がみな黒装束にするので、〃黒党″ともあてる。黒装束はいうまでもなく、忍者を象徴するものである。 祭神はいま、大彦 命、少彦名命ならびに金山比嘩命の三神である。『三国地誌』では少彦名、金山の二神であるとしている。 はじまりはしかし、上古、伊賀の大族だった阿倍氏の祖、大彦命だけだったと思われる。ところが、機織をつかさどる少彦名と金掘りをつかさどる金山の両外来神をかついだ服部族が、敢国神社に進出した。 ある時期まで、神社は氏族の中心として、政治・経済・軍事の拠点として、一国の観があった。服部族は勢力が強大になって、一の宮をも勢力下におさめたというわけである。 源平時代に、服部(伊賀)璃献藤緋剛毅感が出る。平家に従い、六条院のとき弓 で名をあげたが、新中納口知盛と乳兄弟だったので、平家が西海で滅びるまで、近侍して働く。 『源平盛衰記』では、壇ノ浦で平知盛とともに果てることになっている。が、ひそかに生きて帰って、予野庄の千賀地(上野市)に隠れ住んだのだという。 それ自体、忍者的だが、平家の一家人ながら、なかなか勢威のあった人とみえ、「服部平内左衛門家長、武術の名誉多かるゆえに、庶疎盛りに盛りて、府内に蔓延す」(『伊乱記』) 『三国地誌』では、伊賀の服部氏がみな家長の子孫であって、平家の武士から家を 興した、と−)ているのはいぶかしいことだ、とさえいっている。ちなみに、『寛政重 修諸家譜』で見る服部各氏は、ほとんど平氏ということになっている。 この家長の直系を称し、とりもなおさず宗家を名乗る子孫が、名高い半蔵正成である。千賀地に生まれたので、千賀地ノ半蔵ともいう。 その事績はしかし、『寛政重修諸家譜』で見るかぎり、おおむね徳川家康の忠勇な家来にすぎない。 父の保長は、〃煙の末“といわれた上忍だが、はじめ足利義晴に仕え、その後三河に来て、松平(徳川)清康・広忠・家康の三代に仕えたというから、早いうちに伊賀を出国していたものらしい。 半蔵もしたがって、父に次いで家康に仕えるのである。

不可思議・不気味な忍者たち

忍者の源流をたどる

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