戦国期に活躍した忍者その忍者の源流をたどる。

暗くて不気味な〃陰の一族〃とは?

れぞれが抱くイメージもまた、さまざまのようだ。

このように、一口に忍者といっても、天地造化の神の琴とき存在から、愉盗の姿まである。それぞれが抱くイメージもまた、さまざまのようだ。けれども、忍者に対して反応する言葉は、おおむね一致している。

〈怪奇、不気味、暗黒、冷酷、非情、秘密性、閉鎖性、異種、徒党、邪悪、下賎〉などといったものである。これらをひっくるめていえば、〈陰〉ということになるだろう。〃陰に生きる者″あるいは〃陰の一族・一党″といういい方もある。字義通り、暗くて、不気味である。 陰とはしかし、元来、光を受けてできたものである。どこかに光があたれば、どこかが陰になる理屈で、相対的に不幸な部分と考えていい。 その意味では、彼らは〃陽の目を見ない〃あるいは〃世に入れられない〃連中だということができる。この陰の発生について、あらかじめ考えておきたい。まず、俗に、〈隠れ里〉とよばれるところがある。たいがい深山幽谷に位置し、容易に人を近づけない。合戦に負けたか、圧政から逃れたかした一族・一党が、外敵を防ぐにも、食糧を得るにも便利な村里を設け、独特の風俗習慣を育て、ときには厳しい徒やら、優れた技芸やらを保って、ひっそり暮らしたところである。始終そうやって、外界と交渉を断って暮らすことが可能なら、それはもう一種の桃源郷のようなもので、とくに〃陰“とはいえない。事実、近年までそれに近いいくつかの秘境を数えることができた。

外界社会が入り込んできて、隠れ里が隠れ里でなくなることになる

ある日突然、あるいは徐々に、外界社会が入り込んできて、隠れ里が隠れ里でなくなることになる。住人たちは、余儀なくそれまで断ってきた外界と交わるようになるが、彼らには長年なじんできた自分たちだけの習俗がある。一般社会からいえば、〈異風〉である。そんなものを身につけて現われれば、疎外されるようになるのも、自然の成り行きである。つまり、陽の目の下で、陰の生活を強いられることになる。そこで彼らのある者は、下層に置かれても一般社会に溶け込もうとし、またある 者はむしろ異風を守って、団結しようとする。復権を願う心と、少なからぬ怨念が入り混じり、暗く、陰湿な生態が生まれる。これが陰の一族。一党といわれるものの一つの発生経過を示している。

上古では鬼だった。畏れられ、疎外されたにちがいないそれは、折口信夫説によれば「おにとは大人のことであり、征服された先住民のこと」であり、柳田国男説によれば、「国津神が一一つに分かれ、大半は里に下って常民に混同し、残りは山に入り、または山に留まって、山人とよばれるもの」である。それぞれニュアンスは異なるものの、畏れられ、疎外されていた神、または人であることがうかがえる。

たとえば、天孫族によって征服された出雲族などが想定されるが、意識するしないにかかわらず、体制反抗の姿をもって示される。そうでなかったら、直接、反逆や盗賊のかたちで現われる。

羅生門の鬼

羅生門の鬼、大江山の鬼、茨木童子など童子名を名乗るもの、鬼同丸などの丸を名乗るもの、雑多な鬼たちの横行である。童子たちの素姓は、衰亡した土地神の末喬で、比叡山に奉仕するもののなれの果て、という所説がある。童子という呼称はまた、江戸時代の〃なんとか小僧″を名乗る盗賊につらなるものかもわからない。

それはさておき、彼らは一眉まで垂れる大童の髪をしていた。これを、く四方髪〉といった。これは後世の忍術における変装術名の一つでもある。もっと明確な、先住土着民のグループをさすよび名もある。

く土蜘妹〉である。

そのイメージは、能や歌舞伎で表わされるように、塚にこもり、良民に仇なす(敵対して害を加える)妖怪でしかない。事実、良民に仇なすといわれても仕方のない所業を繰り返していたのだろう。『常陸風土記』には、こう書いてある。

「茨城の国栖、俗称土蜘妹。または八束腔、山の佐伯、野の佐伯と称し、土窟に住 み、服従せず。茨を土窟につめ、ここに追い込み殺す」 国栖は『神武記』に登場する吉野の国栖と同じものだろう。彼は神武帝に対し土着神の末孫、石穂押別 命と名乗ったという。八束腔は身体強大を思わせるし、佐伯は〃塞ぎ〃の意味で、体制勢力をさえぎり、従わないことの象徴ととれる。

不可思議・不気味な忍者たち

忍者の源流をたどる

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