
忍者とは何か?
忍者とは何か、を考えるまえに、松尾芒菫の「忍者説」に触れておきたい。 この説は今に始まったことではなく、かなり以前からあった。彼の不明の部分を含む足跡をみれば、不審に思わざるをえないからである。芒菫が伊賀から江戸へ出て来たのが寛文11年。19歳のこと。俳壇の地歩を得つつも、水戸家の上水道工事の監督(土木技術の心得があった)などをし、やがて旅から旅の暮らしを送り、46歳にいたって『奥の細道』の長大な行脚に出る。当時の感覚からいえば、老人に近い。彼みずからも、早くから〃翁″と称していたくらいだが、記述によれば、約半年の間に15ヵ国を回遊している。総行程りは六百里にのぼり、一日十数里もの山野賊渉もある。考ええられない健脚でありスピードである。ただごとではない。ここから、芒菫は漂泊詩人の仮面をかむって、本当は諸国探索を行なっていたのではあるまいか、という憶測が生まれた。じつのところ、芒菫は伊賀無足人の出である。無足人とは本来、無禄の士というくらいの意味だが、伊賀を領して入国してきた藤堂高虎が、領国内の地 侍に対してとった制度下のよび名である。地侍とは、伊賀という土地柄から、ほとんど忍びの術をたしなむか、あるいは忍者を配下になっており、とりもなおさず〃忍者〃と考えていい。彼らは織田信長による天正伊賀の乱によって、四散したり、隠れたりしたが、おいおい戻ったり、姿を現わしたりしていたころである。高虎はこれら領内に散在する地侍たちを調査し、登録させた。「士は禄を食んで武を磨き、無足人は禄なくして兵を練る。権力の上よりは士分・郷士の上にあり。実力よりすれば士分・郷士をしのぐなり」(『伊乱記』)というが、無足人の誇りがうかがわれる。高虎は伊賀国人(地侍)の伝統的反抗心や、彼らの使う忍びの術の恐ろしさを熟知していたので、登録させて取り締まりやすくし、一方で特殊な待遇を与えて懐柔しようと考えたのだろう。これはたぶん、徳川家康との黙契のもとに行なわれたものと思われる。家康はそもそも、高虎以上に伊賀国人の恐ろしさと有用性を認めていた人物である。必要あれば忍者を供給させうるよう、高虎の領内に養成しておこうと考えたにちがいない。
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寛永年間(1611〜43)作成の〃伊賀付出帳″
寛永年間作成の〃伊賀付出帳″によれば、無足人の組織ないし編成は・・・
一、組外ノ衆
一、母衣ノ衆
一、鉄砲組ノ衆
一、留守居ノ衆
一、忍びノ衆
というふうに、五つのグループに分かれている。平生は農事にいそしみ、〃薮廻役″〃山廻役“などをつとめ、それぞれ火薬や狼煙の研究に励んだ。藤堂藩では毎年、〃武芸一覧″と称する演習が催されたが、無足人たちは藩主の前で火業研究の成果を発表するのが習わしになっていた。
いざとなれば秘命を受けて、探索に出かける
いざとなれば秘命を受けて探索に出かける。役柄上、ほとんど不詳だが、幕末の嘉永6年にペリー艦隊が来航したとき、阿拝郡壬生野村(現、伊賀町)の無足人、沢村甚一二郎は浦賀に走り、黒船の内情を探っている。 何をどのように探ったかはさておき、艦隊乗員と接触したのは確かである。当初、強硬だったペリー側も、神奈川条約締結後は陸上や艦上で交歓を行なったから、随行者として参加したのだろう。もち帰った乗員筆の書類が二通、ちゃんといまに残る沢村家に現存している。伊賀無足人はざっとこのようだが、ほかならぬ芒菫の生家は、柘植村(現、伊賀町)在住の無足人だった。明治初年の〃伊賀無足人取調帳″には、同村になお松尾姓一家のあることが認められる。芒菫の父与左衛門は、寛永年間に上野城下へ出て赤坂町に住み、そこで芒菫が生まれた。成長した芒菫は、藤堂新七郎の嗣子、良忠に仕参へる。新七郎は上野城代藤堂の一族だが、旧姓保田といい、服部半蔵正成の兄弟といわれる人物である。芒菫の生母はまた、忍家百地氏の娘だという。百地氏系図には別説があって、百地伝左衛門保次という人の子が、藤堂新七郎様御家来へ養子に参り、芒菫と改名とあり、芒菫を百地家の出身とする。真偽は不明だが、いずれにせよ、高名な忍家とのつながりをしのばせる。こうしてみると芒菫は〃忍者説″どころか、忍者そのものということになる。が、それはあくまで出自においてであって、ただちに忍者とよぶには跨踏せざるをえない。なぜなら、何者が何をどう探れと芒菫に命じたかどうか、不明だからである。そのことの不確かなものは、忍者とはいわない。
最終更新日2012/07/10